牛舎の前に積まれたフレコンバッグ

牛舎の前に積まれたフレコンバッグ

飯館牛のショップは廃墟に

飯館牛のショップは廃墟に

除染後の田んぼ

除染後の田んぼ

葛尾村での交流会

葛尾村での交流会

10月11日、12日と「小島力と行く詩集『わが涙滂々』葛尾村、飯館村探訪ツアー」に参加し、45名で福島県の両村を訪れました。

飯館村は人口約6200人、葛尾村は約1500人の山間の村です。どちらも現在は避難指示に基づいて全村民が区域外の仮設住宅などに避難して生活しています。政府の方針によって「除染」が進められており、2017年4月をめどに避難指示を解除して帰還する方向で県や村も動いています。

帰還と地域再建は可能なのか。今回のツアーは主にそこに焦点を当てたものでした。飯館村では、福島市に避難されておられる高橋義治さんにご案内をいただきました。葛尾村では小島力さんヤス子さんのご案内をいただき、三春町の公民館で松本信夫さんを始め村の皆さんおよそ10人の方たちとの交流会が持たれました。

 

まず、除染の問題です。除染が実施されるのは住宅と道路及びその周辺20m、そして農地です。田畑の畦は対象外、面積の約8割を占める山林も対象外です。

人々は山間の低い土地に田畑を拓き家を建てて生活しています。雨が降り風が吹けば、放射能汚染は水や木の葉などによって拡散されます。除染が終わった地域でも、ツアー参加者が道路から少し林に入ったところなどあちこちで放射線量を測定したところ、どこも年間1ミリシーベルトの基準をはるかに超える10倍から100倍以上の値が出ていました。

若い世代が子育てできる環境ではないことは、明らかです。

 

そして、地域の生活インフラの問題です。飯館村ではこの夏にセブンイレブンが1店、ようやく開店しました(昼間のみの営業)が、以前からあったお店が戻る予定はありません。葛尾村もゼロです。病院も診療所も閉鎖されたまま。水は、これまで山間の住宅ではそれぞれ湧き水を利用するなどして自給しており、村の中心部は簡易水道が営まれていました。湧き水は利用できませんので井戸を掘る、簡易水道はろ過装置を設置する方針と聞きましたが、どちらも安全が保障されるか心配されます。

もともと中山間地の不便な地域ですが、人が生活していくうえでの基本的なインフラが崩壊しているのです。このことが短期間に復活できるとは思えませんでした。

 

さらに、産業の問題です。

田畑の除染では、農地の表面を約5センチ削り取っていました。その後に近くの山から取ってきた砂を入れて均しています。草も生えていないような「更地」にしているのです。長年にわたってつくってきた「土」を無残にも剥ぎ取ってしまった農地では米も野菜も思うようには作れないと地元の方は言われます。農業の復興は可能でしょうか?

飯館村では原発事故前、盛んに畜産が行われていました。事故後、育てられていた牛は事実上殺処分されました。葛尾村の松本さんが自ら飼われていた牛を餓死させるしかなかった体験は、参加者みんな涙なくして聞くことはできませんでした。畜産は、後継者が全くいない状態であると報告されました。壊滅です。

春の山菜取り、秋のキノコ取りが不可能であることは言うまでもありません。

米も野菜も満足に作れず、畜産はなくなり、山の幸を得ることもできない山村で、人々はいったいどうやって生計を立てるのでしょう。

 

葛尾村の交流会で村の方々は「帰還する人はおそらく2割」と話されました。故郷で余生を送ることを望む人たちであると。高齢の方でも、若い世代とともに暮らしたい方々は村には帰れないだろうと。この状態で「帰還」をすすめても、20年後、30年後の村の将来はあるのでしょうか。

これがツアーに参加して知ったことです。

原発事故は、帰還困難地域はもちろん、その周辺の広い地域に取り返しのつかない広範な被害を生んでいるのです。

避難指示が解除されれば、避難に伴う補償は打ち切られます。そこに「帰還」をうながす国や東電の狙いがあるのです。

最後にもうひとつ付け加えます。国の「帰還」方針に対して福島県や地元自治体はいったい何をしているのでしょう。現状をしっかり見つめ、見せかけの帰還は住民のためではないこと、生活再建と地域の再構築は困難であることを言うべきです。それが「自治」ではないでしょうか。首長や議員の責任も重いのです。

 

東京や全国の皆さんにぜひともこのような現状を知っていただき、それぞれの立場で考え、行動していただくことを願います。